エゴン・シーレについて
「ぼくらはすべて、何よりも時代の子供なのだ。 少なくともこの時代へ分け入る道を見出した、そういう人間なのである..」- シーレ


エゴン・シーレは1890年、オーストリアのトゥルンというところに生まれました。

彼の作品の特徴といえば、まるでモデルの内面を
丸裸にしてしまうような絵を描くこと。

心まで赤裸々にしてしてしまったような作品。彼の絵からは人間誰もが抱える
孤独や不安、性的コンプレックスなどが痛いほどに伝わってきます。

彼の作品がいまも人の心を掴んで離さないのは、孤独や不安などの要素が
いつの時代の人間も抱えていることの証だからなのでしょう。


彼の芸術へのテーマ、それは「死と生」そして「エロス」です。

一言にテーマと言っても、その表現方法はひとそれぞれですが、彼の絵は
師匠であるクリムトなどと違い、恐れや不安に慄いているものばかり。

シーレの作品からは生きることへのやり場の無い苦しみが、ヒシヒシと伝わってきます。
しかし彼の絵は、どこまでも人間くさいものに感じてしまうのです・・・。

描かれた人物を自分に照らし合わせてみると、ほんとに痛々しいほど心に迫ってくる作品たち。
涙を流す方もあれば、長く見ていられない方もあるかもしれません。
そういった意味では、彼の作品の好き嫌いはハッキリ分かれることと思います。

限界ギリギリまで迫った数多くの自画像や作品は、
今も多くの人の心をとらえて離しません。

「現代芸術というものなんてありはしない。あるのは永久に続く芸術だけだ」 -シーレ

その言葉通り、シーレはいつの時代を問わず、人々の心に大きく影響を与え続ける作品を残した
芸術家ひとりといってもいいでしょう。

しかし彼は、当時流行していたスペイン風邪により28年という若さで命を落とします。
もっと長生きしていたら彼はどんな絵を描いていたのだろうと思うと、非常に残念です。





自画像の画家

シーレの代名詞的なものとして、彼自身を描いた数多くの自画像があります。
苦悩や欲望・孤独感に包まれた自画像は、見る人に独特の印象を与えるのは間違いありません。
シーレは、国外での活動も夢見ていたにもかかわらず、結局は障害をウィーンで過ごすこととなります。
しかし、皮肉にもそれがシーレ自身の才能を磨き上げていくことになったという見方もあります。
彼自身の自画像にも、そういった満たされない自分自身が反映されているのかもしれませんね・・・。

シーレはナルシスト?

ナルシスト的な一面もあったのではないか?と言われています。しかしナルシストであるならば、
自分自身をもっとカッコよく描くはず。。ではナルシストではないのか?もしくは
自分自身を深く深く愛するがゆえ、結果的にあのような自画像になってしまったのか。
意見の分かれるところです。・・・え?僕はどう思うかって? どっちでもいいです(笑

ノイレングバッハ事件

シーレが恋人のヴァリーと共にノイレングバッハという地方で活動していた時のことです。
子供たちのヌードを描いたこと、子供たちが見えるところにエロティックな絵を飾っていたことで
禁固刑を受けました。そして見せしめとして彼の絵画を公衆の面前で焼かれることとなります。

「性を否定するということは自分を産んでくれた親達の行為を否定することと同じなのだ!
真に汚らわしいのはお前らの方だ!」


・・・と、シーレは言ってますが、さすがにこればかりはどちらが正しいとは言い切れません(^^;
ですがシーレは、思春期の少年少女に相当関心を持っていたのは確かです。

これから何かが変わることへの恐れや不安。これが何なのかはわからない、でも何かが変わりつつある。
そんな不安を抱える思春期の子供たちに対し、絵の題材として激しく興味をもっていました。



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