エディット・ハルムス ノイレングバッハ事件の後、再びウィーンでアトリエを構えたシーレは、 その向かいに住むハルムス姉妹の存在を知ることとなります。 そしてその姉妹の妹である、このエディットに、シーレは魅かれていったのでした。 当時シーレが交際をしていたヴァリーとは、違う魅力を持った女性だったのです・・・。 鉄道関係の裕福な家に生まれ育ったエデットは、 ピアノを習い、外国語も得意だったといいます。 エディットに魅かれていくシーレはこのとき一枚の絵、 後に彼の代表作にもなる作品「死と乙女」を描き始めます。 それが意味することは、おそらくヴァリーとの別れが 近づいているのを自分なりに予感していたからでしょう。 そしてシーレはヴァリーと別れ、 エディットと交際し、そして結婚しました。 家族というものに憧れを抱き始めたシーレは、作品から鋭さや神経質さが無くなっていきます。 「家族」 この絵を描いているとき、エディットはまだ妊娠中でした。 子供はまだ生まれていなかったため、 すでに結婚していたシーレの妹であるゲルトルートの子供を モデルにして描いたとされています。 そうして家族をもつことへの憧れを膨らましていったシーレ。 しかし彼は、この絵を完成させることができませんでした。 当時流行していたスペイン風邪により、妊娠していたエディットは他界し そしてその三日後に、シーレ自身もこの世を去ることとなります。 シーレ28才でした。 シーレとエディットは、この描かれた作品のように、 家族を手に入れることはできなかったのです。 トップページへ |