ヴァリー・ノイツィル

シーレにとって「運命の女」とも言われていた女性です。ヴァリー・ノイツィル。

彼女はもともとクリムトのもとでモデルとして活動していましたが、
シーレの活動を援助していたそのクリムトの紹介で二人は出会いました。

ヴァリーはシーレの画業のみならず、生活においてもかけがえの無い存在となっていったのです。

   

ヴァリーと共に生活をした日々。

それまでの作品に見られていた緊張感はなくなり、
ヴァリーと過ごしていた毎日が、いかに充実していたかが手に取るようにわかります。




しかしそんな生活も、長くは続きませんでした。

ノイレングバッハ事件後、二人は再びウィーンでアトリエを構え活動をしていた際
向かいに住んでいたハルムス家の姉妹と交流をするようになります。

そしてシーレは次第に妹のエディットに引かれていきました。

エディットに心ひかれ、ヴァリーへの気持ちが薄れていく。
そんな自分の気持ちに気づき始めたのか?シーレは一枚の絵を描きはじめます。


 1915年 「死と乙女」


この作品が、ヴァリーを描いた最後の作品となりました。
罪の意識からか男には生気がありません。

シーレの作品の中でも特に、心の落ち着かない作品です。

ゴツゴツした岩肌の上で、力なく抱き合う二人。
上から見ているのか、それとも横から見ているのかという不安定な印象を受けます。



エディットに心を奪われたシーレに気づいたヴァリー。
彼女は潔く身を引きました。

シーレのもとを去っていった後、彼女は第一次世界大戦の看護婦として、赤十字に加わり従軍します。


そして1917年のクリスマス前、ダルマチア地方の陸軍病院にて、
猩紅熱(しょうこうねつ)のため亡くなります。ヴァリーは当時、23歳でした。




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