エロティシズムを考える


エゴン・シーレのこと、そして彼の作品のことを考えていると、
このテーマについて考えてしまうことは当然なのかもしれません。

エゴン・シーレは不道徳な絵を描いたとして、獄中生活を送った時期があります。

そしてその中の何枚かの絵を、見せしめとしてシーレの目の前で焼かれました。
俗にいうノイレングバッハ事件のことなのですが。。。

この時シーレが叫んだ言葉・・・。
「性を否定するということは自分を産んでくれた親達の行為を否定することと同じなのだ!」
「真に汚らわしいのはお前らの方だ!」


しかしひとつ間違えば、誤った方向に行きかねない分野ですね。エロティシズム。


解釈の違い

エロティシズムと似た言葉に、ポルノという言葉があります。

ヤフー辞書でもこういった結果に分かれました・・・。

エロチシズム
《「エロティシズム」とも》性愛・情欲をよび起こす性質。
芸術作品などで、そのような傾向の表現。「―を漂わせる裸婦像」
ポルノグラフィー(略してポルノ)
性行為の描写を売り物にした読み物・絵画・写真・映画など。ポルノ。

エロティシズムと言えば、主に芸術分野で多く使われる言葉、
一方、ポルノと言えば、卑猥な印象、ふしだらな印象があります。

エゴン・シーレはエロティシズムという観点で絵を描いたのであろうと思います。(そう願います)
しかし彼の絵を不道徳とみなした側はといえば、明らかにポルノなのです・・・。

ポルノエロティシズムか。
そう判断するのは、結局、見る人の心によるんですね・・・。


クリムト

 

エロティシズムの巨匠といえばやはりこの人。
グスタフ・クリムト

美しく怪しい、危険な官能美の世界。
描かれた人物たちは、それに酔いしれるあまり無防備となり、
危険にされされていることにすら気づきません。


描かれた人物は、性的感情に満たされている中で
純粋な自分の存在を感じているようにさえ思えます

自らがエロスに支配されることにより、身にまとってきたもの全てが取り払われ、
自らの本能を通じて、混じりっ気のない、真の自分自身を感じているように思えるのです。。(わかりにくい 汗)

クリムトの描いたエロティシズムの世界は、ポルノという概念を微塵も感じさせない、
崇高な芸術世界なのは明らかですね。


シーレ

エロティシズムに見られる、自我の目覚め。
彼の描いた少年少女の絵からは、そんなことを感じます。

これまで裸で走り回っていても、気にも留めなかった。しかし、思春期をむかえ
性を意識し、そして性の対象になっていく自分への不安や慄き。

あらゆるところから毛が生え、体つきも変わる。
いま明らかに、自分の身に何かが起ころうとしている・・・。

そんな不安でいっぱいな少年少女を、鋭い洞察力と画力をもつシーレが
描いた結果、リアリティに満ち溢れたものになってしまった・・・。

結果、ポルノと思われてもしょうがないのかな・・・。皮肉なものだと思います・・(汗




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ひとつ間違えば卑猥なものとして扱われる、取り扱いの難しいエロティシズム。

作品を見てどう判断してしまうかも、人それぞれだと思うんですよね(汗
ただ誰もがもっている感覚だと思うので、それを簡単に否定するのはどうなのかなぁと。。

人間の本能的なものであるエロティシズムを否定することは、人そのものを否定することに変わりないでしょう。
それを醜く扱うということは、人を、自分自身を醜いと言っているようなものです。

でもそう考えると、このエロティシズムという分野は
美しいものであるべき・・・となるのでしょうか。。。(意味深)

う〜ん、まだまだ考え出すとキリがない分野ですね。。エロティシズム。



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ちなみに僕は、最近ジェンス・ブリュッゲマンという写真家の方の作品に興味深深です。
エロティックな写真を取る方ですが、全然いやらしいという感じはしません。 ジェンス・ブリュッゲマン

その写真の美しさには見とれてしまうほど。この人は繊細な方なんだろうな〜と感じています。